他人の物を壊せば「器物損壊罪」、人を傷つければ「傷害罪」。これが法の原則です。しかし、暴漢から身を守るためだったり、医師が手術でメスを入れたりする場合は処罰されません。この「例外的に違法ではなくなる理由」のことを、法律用語で「違法性阻却事由(いほうせいそきゃくじゆう)」と呼びます。なぜ同じ「人を傷つける行為」でも、状況によって犯罪になったりならなかったりするのか——その仕組みを丁寧に解説します。
1. 犯罪が成立する「3つのステップ」
日本の刑法では、ある行為が「犯罪」として処罰されるまでに、理論上3つのハードルをクリアする必要があります。これを「犯罪論の三段階」と呼びます。※1
- 構成要件該当性:行為が法律に定められた犯罪の条件(例:「人を殺した」「他人の物を壊した」)に当てはまるか。
- 違法性:その行為が法秩序全体の観点から「許されない」ものかどうか。←ここで違法性阻却事由をチェック!
- 有責性:その人に「悪いことをした」と道義的・法的に責任を問える事情があるか(責任能力・故意・過失など)。
「違法性阻却事由」がある場合、2つ目のステップで「これは社会的に許容された行為だ」と判断され、1つ目のハードルを越えていても犯罪は成立しません。
💡 「阻却(そきゃく)」とは
「阻却」とは「はじいて退ける」こと。違法性を阻却する=「本来違法になるはずの行為の違法性を打ち消す」という意味です。
2. 代表的な5つの違法性阻却事由
① 正当防衛(刑法36条)
急迫不正の侵害に対し、自分または他人の権利を守るためにやむを得ずした行為です。※2 「不正(侵害者)vs 正(防衛者)」の構図であり、防衛者が先に挑発した場合や、侵害がすでに終わった後の反撃は原則として正当防衛になりません。
正当防衛が成立するための要件
- 急迫性:侵害が現在起きているか、まさに起きようとしている
- 不正性:侵害が違法なものである(精神障害者の攻撃には原則として緊急避難が適用)
- 防衛の意思:侵害を排除しようとする意思があること
- 必要性・相当性:防衛行為が侵害に対して著しく均衡を失していないこと
② 緊急避難(刑法37条)
自分や他人の生命・身体・自由・財産に差し迫った危難を避けるため、やむを得ず無関係な第三者に損害を与える行為です。※3 正当防衛が「不正 vs 正」の構図であるのに対し、緊急避難は「正 vs 正」の構図です。
たとえば、ブレーキが故障した車が歩行者に突っ込まないよう、やむを得ず駐車中の他人の車に接触して止まるケースなどが該当します。ただし、守られる利益が失われる利益より大きい(利益の均衡・優越)必要があります。
③ 正当行為(刑法35条)
法令による行為または正当な業務による行為は、違法性が阻却されます。
- 法令による行為:警察官による現行犯逮捕、死刑執行官による死刑の執行、税務職員による差押えなど。
- 正当な業務による行為:医師の手術(傷害罪の構成要件に該当するが業務上正当)、ボクシング・格闘技での打撃(同意と社会的相当性の範囲内)、弁護士の守秘義務に基づく行為など。
④ 被害者の承諾(同意)
被害者が事前に「いいですよ」と有効な同意を与えている場合、一定の範囲で違法性が阻却されます。スポーツにおける接触、タトゥーの施術、美容外科手術などが例として挙げられます。
ただし、承諾には限界があります。自分の生命を奪うことへの同意は無効であり、同意殺人罪(刑法202条)が成立します。また、公序良俗に反するほど重大な法益への侵害には適用されません。
⑤ 自力救済の例外的許容
日本の法制度は原則として自力救済(自分で実力行使して権利を回復すること)を禁じており、権利の回復は裁判・行政機関を通じるべきとされます。しかし、時間的に公権力の介入を待てない緊急の事態に限り、最低限の実力行使が例外的に認められる場合があります。
ただしこれは極めて狭い例外であり、「盗まれた瞬間にその場で追いかけて取り返す」程度の場合に限られ、後から実力行使することは原則として認められません。
3. 「やりすぎ」は厳禁:過剰防衛と誤想防衛
過剰防衛
防衛行為が「必要最小限の程度」を著しく超えた場合は「過剰防衛」となり、違法性は阻却されません。ただし情状酌量の余地があるとして、刑が任意的に減軽・免除されることがあります(刑法36条2項)。※4
素手で殴りかかってきた相手をナイフで刺し殺すケース、もはや侵害が終わったにもかかわらず追い打ちをかけるケース——これらは過剰防衛として処罰対象になり得ます。
誤想防衛
実際には侵害が存在しないのに、あると誤信して防衛行為をとった場合を「誤想防衛」と呼びます。たとえば、友人が冗談で後ろから抱きついてきたのを強盗だと思い込んで殴ってしまったケースです。故意犯の成立が否定される可能性がある一方、過失が認められれば過失傷害罪が成立することがあります。
4. 社会の「常識」を法文化したもの
違法性阻却事由の根底には、二つの原則があります。
一つは「法は不可能なことや無理なことを強いない(Impossibilium nulla obligatio est)」というローマ法以来の原則です。身を守るためにやむを得ず行った行為まで処罰することは、人間に不可能を強いることになります。
もう一つは「社会的相当性」の考え方です。歴史的・社会的に形成された秩序の中で相当と認められる行為は、形式的に構成要件に該当しても違法ではない、という実質的な正義の判断です。法律は条文通りに動く「機械」ではなく、こうした例外規定を通じて現実社会の常識とバランスを保っています。
まとめ:法と正義のバランス
違法性阻却事由は、形式的なルールと実質的な正義の間のバランスを保つ装置です。「犯罪が無罪になる」というと例外的に聞こえますが、医師が手術できること、警察官が逮捕できること、自分の身を守れること——これらはすべてこの仕組みによって支えられています。
何が「正当」で、どこからが「やりすぎ」なのかを理解することは、自分自身を守るためだけでなく、「法が守ろうとしているものは何か」を問い直すことにもなります。
参考文献
- 山口厚(2015年)『刑法 第3版』有斐閣.(犯罪論三段階の解説)
- 刑法第36条(昭和22年法律第45号)「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。」
- 刑法第37条(昭和22年法律第45号)「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。」
- 最高裁判所第一小法廷(昭和44年12月4日)「過剰防衛における任意的減免について」刑集23巻12号1573頁.
- 西田典之(2012年)『刑法総論 第2版』弘文堂.
📚 シリーズ:法と倫理の境界を探る
キーワード:違法性阻却事由, 正当防衛, 緊急避難, 正当行為, 過剰防衛, 誤想防衛, 刑法, 犯罪成立要件, 社会的相当性