色彩調和論とは、色の組み合わせの理論のこと。
背景
紀元前6世紀、古代ギリシアの数学者ピタゴラスが、心地良い音の組み合わせ(調和)が単純な数比で表せることを発見した。彼は万物の根源を数だと考え、音の調和を神秘的なものと捉えた。
1704年、 イギリスの科学者ニュートンが著書光学で光のスペクトルを赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7色に分けた。7色とした理由は、西洋音楽ドリア旋法の音階(レミファソラシドレ)の各音の間に色を対応させたためで、虹を7色で扱うきっかけとなった。
当時、色は光と闇で作られるとされていたが、彼は色が光のみで作られることをプリズム実験により証明した。また、彼は色を円環に配置した図(色相環)を発明した。本記事トップ画像も色相環の1種で、それぞれ反対側の色を補色と呼ぶ。
1810年、ドイツの詩人ゲーテが著書色彩論で、ニュートンの色に対する科学的なアプローチを批判し色を心理的に扱った。彼は、ある色を見続けた後にその補色が知覚される現象(補色残像)を取り上げ、補色同士は引かれ合うと説いた。
但し、補色等の関係は色の表現方法によって異なる。RYBでの赤の補色は緑、RGBでの赤の補色はシアンとなる。
シュヴルールの色彩調和論
1839年、フランスの化学者シュヴルールが、著書色彩の同時対比の法則とこの法則に基づく配色についてで、色やトーン(明度と彩度を組み合わせたもの)の調和の関係を2つの法則にまとめた。
類似の調和
色やトーンが似ているもの同士は調和するという法則のこと。たとえばマスターカードのロゴは、赤と橙の円で類似の調和となる。色の類似をドミナントカラー、トーンの類似をドミナントトーンという。
対比の調和
色やトーンが反対なもの同士は調和するという法則のこと。たとえばバングラデシュの国旗は緑と赤で対比の調和となる。
ルードの色彩調和論
1879年、アメリカの自然科学者ルードが著書現代色彩学で自然界に見られる配色は調和すると唱えた(ナチュラルハーモニー)。自然界では、木の葉の緑は日向の部分が明るく黄みがかり、日陰の部分が暗く青みがかって見える。
たとえば三井住友銀行のロゴは、黄緑部が明るく緑部が暗いナチュラルハーモニーとなる
オストワルトの色彩調和論
1918年、ドイツの化学者オストワルトが調和は秩序に等しいと唱え、純色、白色、黒色の混合比を定め色を作り体系化した(オストワルトシステム)。彼はこのシステム上で、同じ混合比や規則的な位置関係の色同士は調和するとした。
ドアの色彩調和論
1923年、アメリカの芸術家ドアが色を黄みがかった色(イエローアンダートーン)と青みがかった色(ブルーアンダートーン)のグループに分け、グループ内でまとめた配色は調和するとした。
ビレンの色彩調和論
アメリカの作家ビレンが色を暖色(ウォームシェード)と寒色(クールシェード)のグループに分け、グループ内でまとめた配色は調和するとした。
ムーンとスペンサーの色彩調和論
1944年、アメリカの電気技師ムーンとイギリスの数学者スペンサー夫妻が3本の論文を発表した。彼らは色を同等・類似・対比の調和とそれ以外の不調和に分類、数値化し、バランスの良い面積比の計算法や調和具合(美度)の方程式を提案した。
不調和には、色の差があいまいな状態(不明瞭)や色の差が激しすぎる状態(グレア)等がある。反対に、はっきりした2色(ビコロール)や3色(トリコロール)等の関係は調和するとした。たとえばフランスの国旗は青、白、赤のトリコロールとなる。
イッテンの色彩調和論
1961年、スイスの芸術家イッテンが著書色彩の芸術で、色相環上で幾何学的な位置関係にある色同士は調和すると唱えた。色相環上を三角形で結んだ3色(トライアド)、四角形で結んだ4色(テトラード)等がこれにあたる。
たとえばルーマニアの国旗は青、黄、赤のトライアドとなる。
ジャッドの色彩調和論
1955年、アメリカの物理学者ジャッドが論文4つの色彩調和論で、先人の色彩調和論を4つの原理にまとめた。
秩序の原理
規則性のある配色は調和するという原理のこと。オストワルトの理論や、時期は前後するがイッテンの理論(トライアド等)がこれにあたる。
類似性の原理
似た性質の色同士は調和するという原理のこと。シュヴルールの理論(ドミナントカラー等)やドアの理論(イエローアンダートーンとブルーアンダートーン)、ビレンの理論(暖色と寒色)がこれにあたる。
明瞭性の原理
はっきりした配色は調和するという原理のこと。ムーンとスペンサーの理論(トリコロール等)がこれにあたる。
なじみの原理
見慣れた配色は調和するという原理のこと。ルードの理論(ナチュラルハーモニー)がこれにあたる。
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