脳死臓器移植とは、本来の機能を失った臓器の代わりに、脳死者から摘出した正常な臓器を移植する行為のこと。
背景
20世紀初頭、フランスの外科医カレルが血管縫合・吻合術を確立し、外科の目的が切除から修復に変わった。1905年、彼は動物実験によって移植した臓器が機能しなくなること(拒絶反応)を観察し、これを炎症や栄養不良によるものと考えた。
1912年、彼は血管縫合と臓器移植の研究でノーベル賞を受賞した。1940年代、イギリスの生物学者メダワーが、拒絶反応は異物を排除するための免疫が引き起こすと証明した。つまり、拒絶反応を防ぐためには免疫を抑える必要がある。
免疫抑制剤の登場
1950年代、患者に放射線をあて免疫を抑えていたが移植成功率は低かった。1952年、アメリカの薬理学者ヒッチングスとエリオンが、免疫抑制剤アザチオプリンを発見し、1961年イギリスの外科医カーンが有効性を証明した。以降薬物療法が主流になった。
1972年、スイスの製薬会社サンドの研究員ボレルが、シクロスポリンの免疫抑制作用を発見した。この薬は従来品に比べ免疫抑制効果が格段に優れていたため、1980年代から移植成功率が飛躍的に向上した。
脳死の定義
1950年頃から、人工呼吸器等の発明により脳死という新しい死の概念が生まれた。多くの臓器は死後に鮮度を保てない。脳死は移植直前まで臓器の鮮度を保てるため、臓器移植の可能性を広げた。
脳死の定義には、脳の不可逆的機能喪失を基準とする機能死説(全脳死説、脳幹死説、大脳死説)と、脳の不可逆的組織損傷を基準とする器質死説がある。 不可逆的とは、回復しないという意味。
全脳死説
すべての脳の不可逆的停止をもって脳死とする説のこと。日本を含む多くの国が採用している。人工呼吸器で延命できるが、普通数週間以内に心臓死を迎える。
脳幹死説
呼吸等生命維持を司る脳幹の不可逆的停止をもって脳死とする説のこと。イギリスが採用している。人工呼吸器で延命できるが、普通数週間以内に心臓死を迎える。
大脳死説
思考や記憶等を司る大脳の不可逆的停止をもって脳死とする説のこと。多くは自発呼吸でき回復する可能性がある状態(植物状態)のため、不可逆的停止を判断できない。植物状態は一般に脳死と見なさずドナーにならない。
器質死説
脳組織の不可逆的損傷をもって脳死とする説のこと。医学の進歩により、脳の蘇生限界点が伸びている。つまり現代では脳死(機能死)と診断されるケースでも、将来は脳死と診断されなくなる可能性がある。そのため、脳細胞が壊れて初めて死と考える。
脳死判定基準
1950-60年代、様々な臓器の移植技術が確立したため、それまで曖昧だった脳死判定基準の明確化が求められた。1968年、アメリカのハーバード大学が脳死判定基準(ハーバード基準)を作成し、各国の基準の原型になった。
同年、外科医和田寿郎が日本初の心臓移植手術を行ったが、83日後に患者が死亡した。彼は、脳死判定の妥当性等の疑惑により殺人容疑をかけられた(和田心臓移植事件)。1985年、厚生省が脳死判定基準(竹内基準)を作成し、以降日本の標準的基準となった。
竹内基準では、深い昏睡状態、瞳孔散大、刺激による反射(脳幹反射)なし、脳波平坦、自発呼吸なしの診断を間隔をあけて2回行い脳死を判定する。
法整備
1997年、日本で臓器移植法が施行した。これにより、15歳以上の脳死者で臓器提供の意思表示をしていた場合に臓器提供が認められた。年齢制限は、民法で遺言と認められる年齢が15歳以上のため。そのため、小児患者は海外渡航移植に頼るしかなかった。
2010年、日本で改正臓器移植法が全面施行した。これにより、脳死者が臓器提供拒否の意思表示をしていなかった場合の家族の承諾による臓器提供、虐待を受けていない15歳未満の脳死者の臓器提供、親族への優先的な臓器提供が認められた。
脳死と死の関係
日本では法整備のために脳死と死の関係が議論された。脳死と死の関係には大きく3つの解釈がある。
三徴候説
心臓死こそが死という立場のこと。三徴候とは心停止、呼吸停止、瞳孔散大を指す。脳死臓器移植については移植否定派と、例外で認める違法性阻却派に分かれる。臓器移植法では脳死も死と認めるため、現在主流ではない考え。
脳死選択説
基本的に心臓死を死とするが、本人、家族が臓器移植を望んだ場合に限り脳死を死とする立場のこと。死の基準が2つ存在し統一性に欠ける問題がある。臓器移植法はこの立場を取る。
脳死一元論
脳死こそが死という立場のこと。 脳死=死が社会に浸透していない点や脳死判定の確実性に問題がある。
臓器移植の未来
近年、臓器移植や人工臓器はドナー不足や技術的課題等の壁にぶつかっている。そのため、細胞の再生能力を利用し臓器を作製する再生医学の研究に注目が集まっている。
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