ディアトロフ峠事件とは?わかりやすく簡単に

事件・事故

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ディアトロフ峠事件とは、1959年にソ連の雪山で9名が死亡した不可解な事件のこと。

当時のソ連と現ロシア当局は、自然が原因との見解を示している。

事件の概要

事件発生前

1959年1月27日、ウラル科学技術学校の学生とOB男女10名からなるグループが、ウラル山脈にあるオトルテン山を目指しスノートレッキングを開始した。彼らは難易度の高いルートを選択したが、メンバー全員豊富な経験を有していた。

1月28日、メンバーのユーディンが体調不良で離脱し唯一の生還者となった。以降、彼らの行動はカメラと日記をもとに推測されている。2月1日、一行は吹雪で道を誤り、ホラチャフリ山(現地マンシ族の言葉で死の山の意)の斜面にテントを張った。

事件発生後

2月20日、親族の要請で一行の捜索が始まった。2月26日、荷物が置き去りにされた状態の破れたテントを発見した。そこから森に向かう足跡があり、1.5km離れた杉の木の下で焚き火の跡とともに、クリヴォニシェンコとドロシェンコの遺体を発見した。

2月27日以降、杉の木とテントの間でリーダーのディアトロフ、コルモゴロワ、スロボディンの遺体を次々に発見した。5月5日、テントからさらに離れた地点に掘られた避難用の穴でコレヴァトフ、ドゥビニナ、ブリニョーリ、ゾロタリョフの遺体を発見した。

不明な点

木登りの痕跡

杉の木にドロシェンコが登った痕跡があったが、何を確認しようとしたのか。杉の木まで避難した後、木に登りテントの位置を確認し、その場で2名が凍死、テントへ引き返す途中で3名が凍死したとの考えがある。

内側から破られたテント

調査の結果、テントは内側から破られていた。つまり、彼らは自らテントを破ったとされるが、なぜ気温約マイナス30℃の外に出たのか。

短い歩幅の足跡

テントから森へ向かう足跡の歩幅が短かった。なぜテントを破るほどの事態で極寒の中急いで移動していないのか。

靴を履かず薄着の遺体

靴はほとんどテントに残され薄着の遺体もあった。なぜ雪山で靴も履かずに薄着でいたのか。靴については何かが迫り履く余裕がなかった、または正常な判断ができない状態だったと考えられる。

薄着については、主に寒さで感覚が麻痺し暑いと感じ脱衣する行動(矛盾脱衣)で説明されるが、死後に他のメンバーが衣服を剥ぎ取ったと考える方が有力。実際、靴下が何枚もばらばらに履かれていたり、本人以外のものと思われる衣服を着ている遺体がある。

損傷の激しい遺体

後に発見された4人のうち、ドゥビニナは肋骨を骨折、眼球を消失、舌を欠損、ゾロタリョフは肋骨を骨折、眼球を消失、ブリニョーリは頭蓋骨を骨折しており、他の者と違い死因が低体温症ではない。なぜ大怪我を負ったのか。

眼球消失や舌の欠損は、発見されるまでに獣に荒らされたため、骨折は高所からの落下で岩に衝突したためとの考えがあるが、拷問等で意図的に行われた可能性もある。

放射線が検出された衣服

ドゥビニナ、コレヴァトフが着ていた衣服から高い放射線が検出された。なぜ調査隊が放射線測定を試み、実際に衣服から高い放射線が検出したのか。 

消えたナイフ

木を切るために使ったと思われるナイフの鞘だけが見つかった。ナイフはどこにいったのか。

ゾロタリョフのカメラ

ゾロタリョフの遺体が持っていたカメラは、ユーディンが存在を把握していなかった。フィルムは損傷により現像できなかったが、仲間に隠れて何を撮影していたのか。

事故の原因

獣害説

狼や熊、クズリ等に襲われたという説。 しかし、テントが荒らされた形跡や足跡がないと指摘される。その他、雪男襲撃説、原住民のマンシ族襲撃説もある。

雪崩説

雪崩により避難したという説。しかし、 事件後もテントは自立しており雪崩の痕跡もなく、そもそも雪崩が起きにくい傾斜角だと指摘される。

ミサイル爆発説

軍の核ミサイルが誤爆したという説。実際、現場付近でミサイル実験が行われており、事件当日にも夜空に光球が目撃されている。またその時できたクレーターを発見したという者もいる。その他、誤爆後の軍による口封じ説もある。

ヘアピン渦説

野営地の地形が特殊な風の渦(ヘアピン渦)を生み、発生した超低周波音による無意識な不快感と、轟音を伴う竜巻によりパニックを引き起こしたという説。

カタバ風説

野営地の地形が強力な滑降風(カタバ風)を生み、その強風から避難したという説。

スパイ説

メンバー数人がCIAとKGBの二重スパイで、放射性物質をCIAに受け渡す取引でCIAエージェントの写真を撮る任務中、口封じで殺されたという説。この説は、ゾロタリョフのカメラを説明する。

キノコ中毒説

幻覚作用を引き起こす毒キノコを食べ錯乱したという説。

UFO説

宇宙人に襲撃されたという説。本記事トップ画像はクリヴォニシェンコのカメラで最後に撮られた写真で、UFOを撮ったものとされる。

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