航空事故のまとめ。
ルール不備
1956年グランドキャニオン空中衝突事故
当時、目視に頼る有視界飛行による同一高度での飛行と、航路を外れての飛行が容認されていたために、2機が空中衝突した。
1971年ヒューズエアウエスト706便空中衝突事故
当時、軍と民間に連携体制がなく互いを認識できなかったために、軍用機と旅客機が空中衝突した。
2002年ユーバーリンゲン空中衝突事故
1機が管制官に、もう1機が空中衝突防止装置(TCAS)の指示に従ったために空中衝突した。以降TCAS優先の規則になった。指示を出した管制官は遺族に刺殺された。
規則違反
1994年アエロフロート航空593便墜落事故
機長が息子に操縦桿を握らせた際、意図せず自動操縦解除のコマンドが入力され操縦不能で墜落した。
設計不良
1953~1954年コメット連続墜落事故
毎回の飛行で機体へ繰り返し負荷がかかり、金属の強度が低下(金属疲労)し、空中分解した。強度計算方法や丸い窓の採用等、後世に影響を与えた。
1972年アメリカン航空96便貨物ドア破損事故
貨物ドアの欠陥により飛行中ドアが外れ、空気流出により沈んだ床が操縦用ケーブルを破壊したため緊急着陸した。その後不適切な改修により再発し、1974年トルコ航空DC-10パリ墜落事故が発生した。
整備不良
1983年ギムリーグライダー
給油時ポンドとグラムの単位を間違え燃料切れでエンジン停止したが、滑空して着陸した。
1985年日本航空123便墜落事故
1978年日本航空115便しりもち事故で破損した。その時の不適切な修理により、飛行中機体尾部が破壊され墜落した。単独機で史上最悪の事故(死者520人)。
1990年6月10日ブリティッシュエアウェイズ5390便不時着事故
ネジのサイズを誤り飛行中操縦席の窓ガラスが外れ、緊急着陸した。機長の半身が機外に吸い出されたが無事だった。
1996年アエロペルー603便墜落事故
機体洗浄時、速度計(ピトー管)に貼った保護テープをはがし忘れ、高度と速度が分からなくなり墜落した。
パイロットエラー
1972年ウルグアイ空軍機571便遭難事故
パイロットの現在地の誤認によりアンデス山脈に衝突した。生存者は死体を食べて生き延びた。
1972年イースタン航空401便墜落事故
車輪固定ランプが点灯しないため確認中、意図せず自動操縦が解除されたが、車輪確認に没頭していたために気付かず墜落した。以降、自動操縦解除警報が追加された。
1977年テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故
不適切な管制と一方の機長の独断専行により2機が滑走路上で衝突した。以降、管制用語の標準化と復唱が義務化された。複数機で史上最悪の事故(死者583人)。
1994年中華航空140便墜落事故
自動操縦を解除したと思い込んだパイロットが操作を誤り墜落した。当時、エアバス製の機体は操縦桿を動かしても自動操縦が解除されなかった。これは、エアバスが機械優先の設計思想のため。反対にボーイングは人間優先の設計思想を持つ。
1996年ニューデリー空中衝突事故
一方のパイロットが管制官の英語を理解できず、誤った高度を飛び空中衝突した。
2000年ガルフエア072便墜落事故
夜間洋上での飛行により目印がなく、パイロットが姿勢や方向を正しく認識できない状態(空間識失調)に陥り墜落した。
故意
1982年日本航空350便墜落事故
着陸降下中パイロットが故意にブレーキ操作(逆噴射)を行い墜落した。パイロットは精神障害と診断された。
管制ミス
1976年ザグレブ空中衝突事故
多忙な管制官の引き継ぎミスと高度の誤認識により、2機を同一高度に誘導したため、空中衝突した。
自然環境
1966年英国海外航空機空中分解事故
富士山周辺特有の乱気流(山岳波)により空中分解した。
1975年イースタン航空66便着陸失敗事故
強い下降気流(ダウンバースト)により着陸に失敗した。以降、世界の空港に気象レーダーが導入された。
1982年ブリティッシュエアウェイズ9便エンジン故障事故
火山灰により一時全エンジンが停止したが、再始動に成功し緊急着陸した。
2009年USエアウェイズ1549便不時着水事故
鳥の衝突(バードストライク)により全エンジンが停止し不時着した。別名ハドソン川の奇跡。
火災
1980年サウジアラビア航空163便火災事故
貨物室から出火し緊急着陸に成功したが、乗員と救急隊の対応が悪く全員死亡した。
撃墜
1988年イラン航空655便撃墜事件
アメリカ軍のミサイル誤射で撃墜された。
ハイジャック
1996年エチオピア航空961便ハイジャック墜落事件
犯人に給油を要求したが却下され、燃料切れで墜落した。
2001年アメリカ同時多発テロ
テロ目的でワールドトレードセンターに2機、ペンタゴンに1機、郊外に1機墜落した。
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